【福ちゃん、虹の橋を渡る】 [【福ちゃん死去】]
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福ちゃんは 2017年 8月12日 6時39分 に虹の橋を渡ってゆきました。
2017年 6月12日に巨大食道症を発症してしまって以来、ちょうど2ヶ月。 福ちゃんは一所懸命戦ってきました。でも、福ちゃんの戦いは終わりました。
8月1日の食道裂孔ヘルニアの手術の後の長い心肺停止から奇跡的に復活し、8月8日にはICUの酸素室の中で起き上がることも出来るようになり、ドアを開けると喜んで、差し出した指をかぷかぷかぷかぷ、ずっとくわえ続けて、頭を擦り付けてきて、本当に全身でうれしさを表現していをました。 明日には酸素室を出られるかもという状況だったのに、9日に状況が悪くなり、10日朝、心拍が低下し一時危篤になりました。 食道裂孔ヘルニアを直したのに、食道拡張が再び起きて、食道が気管を圧迫してしまう状況になりました。
10日の夕方から11日にかけて、福ちゃんは危険な状態ながら、強い生命力で何とか持ちこたえてきました。母や妹もずっと交代でついていてくれて、もしかしたら、もう一度復帰できるかもという期待をさせるような頑張りでした。
しかし、12日の深夜、ついていた妹から連絡がありました。意識が失われつつあると。
ちびこをいつもかわいがってくれていた福ちゃん。 我が家のみんなの大黒柱だった福ちゃん。 もう、福ちゃんの姿を見ることは永遠に出来ません。
もう、福ちゃんのおしっこを朝と晩の2回、毎日必ず絞ってあげることもありません。
うんちのほうは垂れ流しだった福ちゃんのうんちが床に落ちていて、それを拾って、床を水拭きすることも、もう、ありません…
ちびこは時々、急におんおん鳴いています。 福ちゃんのことを説明してあげたいけれどそれも出来ない。
8月12日 福ちゃんの最後の日のこと
やり取りしたメールとそのときに携帯で書き記したことを転記
00時47分
妹よりMail
意識レベルが落ちてます。瞳孔が開きぎみで、肛門も開きぎみ。あんまら具合はよくないかも
電車がもうないので、初電で行くことにする
01時10分
妹よりMail
鼻セレブとウェットティッシュ沢山買ってきて
01時35分
妹よりMail
挿管で唾液を除去。呼吸は自発性に戻る。体温が落ちたので保温中
04時18分
妹よりMail
自発呼吸停止
人工呼吸中
4時51分 東海道線で出発
6時41分 病院の最寄駅到着 あと歩いて数分
6時44分 妹よりMail
6:39に亡くなりました。心臓が止まってしまい、戻りませんでした。
※このメールは駅に着いたときで気がつかなかった
6時50分
病院に着く。インターホンを押す。すぐにロールカーテンが巻き上がる。カーテンをあげてくれた先生と目が合う。後ろに看護師の方がいる。目が合う。
表情からすべてを理解した。
「間に合わなかった…」
誰も話さない。わずかに「こちらです」と促す言葉に導かれて院内を進む。
手術台の上に福ちゃんが毛布をかけて横たわっている。そばに妹と母がいる。そばによる。
まだ体が温かい。抱きしめる。普通に体が柔らかい。ほほを寄せる。涙が出てくる。
今までうるさく鳴っていたバイタルメーターのアラームが聞こえず静まり返っている。全てのバイタルメーターとディスプレイの電源が切れている。今までこの音に神経を揺さぶられていただけに違和感を感じる。
妹が最期の様子を説明してくれる。10分程前までは心臓が動いていたと。その時初めてそのメールに気がついた。
最初の危篤は挿管で食道内の唾液を抜いた事で短時間で呼吸が戻ったが、2度目は戻らなかったと。体温を維持するために看護師の方がドライヤーで温め続けてくれたことも聞く。
6月12日に巨大食道症を発症して今日でちょうど2ヶ月。福ちゃんは頑張ってきた。
でも力尽きてしまった。
湘南に戻らねばならないのを気遣って先生と看護師さんが湯灌とチューブの抜去、納棺を特急で行ってくれる。
待つ間、いろいろな事を思い出す。最初に助けた時の事、福ちゃんがちびこをとてもとても可愛がってくれたこと、何でもわかっているようにとても物分りがよく、敷物を交換する時はちゃんと自分からどいてくれて、終わるのを側で待っていて、終わるとぴょんと戻って来たこと。福ちゃんのおしっこの世話のために長野まで日帰りの出張を毎日したこと、終電を逃して、横浜からタクシーを飛ばしたこと…
タクシーを呼んでいただき、柩を母と妹に託す。柩を乗せたタクシーが見えなくなるのを見送る。院長先生以下全員が見送ってくださる。和香の事があるので平塚へ戻らねばいけない。
先生方にお礼を述べる。福ちゃんは出張の時など既に何度もお世話になってきたから皆の顔馴染み。愛想が良くて物分りがよく、甘えん坊なので、入院する病院でことごとく人気者になってきた福ちゃん。
皆にお世話になってきた。肥満細胞腫などという難しい病気も診てもらった。今回も病院の皆さんは徹夜で福ちゃんの治療にあたって下さった。
8月1日の手術以来、何度も死の淵から帰って来てくれた。一度は立ち上がって動いたりできるまでになった。ICUのドアを開けたら、喜んで、指をくわえて一生懸命カミカミしてくれた。きっと嬉しかったんだね。
あの時、もっと長い間かまってあげれば良かった。まさかこんな事になるとは思っていなかった。これで助かって元気になると信じていた。かえすがえすも残念だ。
神社で怪我をしていたのを助けて夜の21時過ぎに緊急医療センターにタクシーで運んで、それ以来、6年と3ヶ月。福ちゃんのおしっこは毎日2回ずっと絞ってきたし、これからもずっとそうだと思っていた。それがこんな急に打ち切られるなんて想像もつかなかった。
ちびこが夜中に思い出したようにおんおん泣いてる。昼間は小雪がまとわりついてるから気が紛れてるのが夜には小雪が寝てしまうから、思い出すんだろうね。猫の言葉がわからないから説明してあげられない。
まだ和香は生きている。和香を助けるための努力をしないといけない。和香が来た時福ちゃんは盛んに舐めてあげたりして世話を焼いていた。福ちゃんがいなくなっても福ちゃんが気遣ったみんなを福ちゃんの代わりにケアしてあげないといけない。
この1年、和香という手のかかる子が来てしまったせいで福ちゃんばかりかまってあげられなかった。もっともっと可愛がってあげればよかった。福ちゃん、もういないなんて…
悲しい、涙が浮かぶ…
福ちゃん、君がいないと悲しいよ。
福ちゃんは 2017年 8月12日 6時39分 に虹の橋を渡ってゆきました。
2017年 6月12日に巨大食道症を発症してしまって以来、ちょうど2ヶ月。 福ちゃんは一所懸命戦ってきました。でも、福ちゃんの戦いは終わりました。
8月1日の食道裂孔ヘルニアの手術の後の長い心肺停止から奇跡的に復活し、8月8日にはICUの酸素室の中で起き上がることも出来るようになり、ドアを開けると喜んで、差し出した指をかぷかぷかぷかぷ、ずっとくわえ続けて、頭を擦り付けてきて、本当に全身でうれしさを表現していをました。 明日には酸素室を出られるかもという状況だったのに、9日に状況が悪くなり、10日朝、心拍が低下し一時危篤になりました。 食道裂孔ヘルニアを直したのに、食道拡張が再び起きて、食道が気管を圧迫してしまう状況になりました。
10日の夕方から11日にかけて、福ちゃんは危険な状態ながら、強い生命力で何とか持ちこたえてきました。母や妹もずっと交代でついていてくれて、もしかしたら、もう一度復帰できるかもという期待をさせるような頑張りでした。
しかし、12日の深夜、ついていた妹から連絡がありました。意識が失われつつあると。
ちびこをいつもかわいがってくれていた福ちゃん。 我が家のみんなの大黒柱だった福ちゃん。 もう、福ちゃんの姿を見ることは永遠に出来ません。
もう、福ちゃんのおしっこを朝と晩の2回、毎日必ず絞ってあげることもありません。
うんちのほうは垂れ流しだった福ちゃんのうんちが床に落ちていて、それを拾って、床を水拭きすることも、もう、ありません…
ちびこは時々、急におんおん鳴いています。 福ちゃんのことを説明してあげたいけれどそれも出来ない。
8月12日 福ちゃんの最後の日のこと
やり取りしたメールとそのときに携帯で書き記したことを転記
00時47分
妹よりMail
意識レベルが落ちてます。瞳孔が開きぎみで、肛門も開きぎみ。あんまら具合はよくないかも
電車がもうないので、初電で行くことにする
01時10分
妹よりMail
鼻セレブとウェットティッシュ沢山買ってきて
01時35分
妹よりMail
挿管で唾液を除去。呼吸は自発性に戻る。体温が落ちたので保温中
04時18分
妹よりMail
自発呼吸停止
人工呼吸中
4時51分 東海道線で出発
6時41分 病院の最寄駅到着 あと歩いて数分
6時44分 妹よりMail
6:39に亡くなりました。心臓が止まってしまい、戻りませんでした。
※このメールは駅に着いたときで気がつかなかった
6時50分
病院に着く。インターホンを押す。すぐにロールカーテンが巻き上がる。カーテンをあげてくれた先生と目が合う。後ろに看護師の方がいる。目が合う。
表情からすべてを理解した。
「間に合わなかった…」
誰も話さない。わずかに「こちらです」と促す言葉に導かれて院内を進む。
手術台の上に福ちゃんが毛布をかけて横たわっている。そばに妹と母がいる。そばによる。
まだ体が温かい。抱きしめる。普通に体が柔らかい。ほほを寄せる。涙が出てくる。
今までうるさく鳴っていたバイタルメーターのアラームが聞こえず静まり返っている。全てのバイタルメーターとディスプレイの電源が切れている。今までこの音に神経を揺さぶられていただけに違和感を感じる。
妹が最期の様子を説明してくれる。10分程前までは心臓が動いていたと。その時初めてそのメールに気がついた。
最初の危篤は挿管で食道内の唾液を抜いた事で短時間で呼吸が戻ったが、2度目は戻らなかったと。体温を維持するために看護師の方がドライヤーで温め続けてくれたことも聞く。
6月12日に巨大食道症を発症して今日でちょうど2ヶ月。福ちゃんは頑張ってきた。
でも力尽きてしまった。
湘南に戻らねばならないのを気遣って先生と看護師さんが湯灌とチューブの抜去、納棺を特急で行ってくれる。
待つ間、いろいろな事を思い出す。最初に助けた時の事、福ちゃんがちびこをとてもとても可愛がってくれたこと、何でもわかっているようにとても物分りがよく、敷物を交換する時はちゃんと自分からどいてくれて、終わるのを側で待っていて、終わるとぴょんと戻って来たこと。福ちゃんのおしっこの世話のために長野まで日帰りの出張を毎日したこと、終電を逃して、横浜からタクシーを飛ばしたこと…
タクシーを呼んでいただき、柩を母と妹に託す。柩を乗せたタクシーが見えなくなるのを見送る。院長先生以下全員が見送ってくださる。和香の事があるので平塚へ戻らねばいけない。
先生方にお礼を述べる。福ちゃんは出張の時など既に何度もお世話になってきたから皆の顔馴染み。愛想が良くて物分りがよく、甘えん坊なので、入院する病院でことごとく人気者になってきた福ちゃん。
皆にお世話になってきた。肥満細胞腫などという難しい病気も診てもらった。今回も病院の皆さんは徹夜で福ちゃんの治療にあたって下さった。
8月1日の手術以来、何度も死の淵から帰って来てくれた。一度は立ち上がって動いたりできるまでになった。ICUのドアを開けたら、喜んで、指をくわえて一生懸命カミカミしてくれた。きっと嬉しかったんだね。
あの時、もっと長い間かまってあげれば良かった。まさかこんな事になるとは思っていなかった。これで助かって元気になると信じていた。かえすがえすも残念だ。
神社で怪我をしていたのを助けて夜の21時過ぎに緊急医療センターにタクシーで運んで、それ以来、6年と3ヶ月。福ちゃんのおしっこは毎日2回ずっと絞ってきたし、これからもずっとそうだと思っていた。それがこんな急に打ち切られるなんて想像もつかなかった。
ちびこが夜中に思い出したようにおんおん泣いてる。昼間は小雪がまとわりついてるから気が紛れてるのが夜には小雪が寝てしまうから、思い出すんだろうね。猫の言葉がわからないから説明してあげられない。
まだ和香は生きている。和香を助けるための努力をしないといけない。和香が来た時福ちゃんは盛んに舐めてあげたりして世話を焼いていた。福ちゃんがいなくなっても福ちゃんが気遣ったみんなを福ちゃんの代わりにケアしてあげないといけない。
この1年、和香という手のかかる子が来てしまったせいで福ちゃんばかりかまってあげられなかった。もっともっと可愛がってあげればよかった。福ちゃん、もういないなんて…
悲しい、涙が浮かぶ…
福ちゃん、君がいないと悲しいよ。