【記憶に留められるべき英雄達のヒロイズム】 [【11年03月】]
福島の原発は一進一退の攻防が繰り広げられている。 現場には危険を顧みずに核の火を鎮めようとする人々の自己を犠牲にした戦いがある。
チェルノブイリのドキュメンタリー番組を見た時、現場に一番に駆け付けた消防隊が防護服もないまま、破壊された炉に走って行っては瓦礫を1つ手にとり破壊された建屋に投げ込み駆け戻る事を繰り返す映像があった。 その場に立ち止まれば致死量の放射線を浴びるため、一人一つの瓦礫を排除するという事を繰り返したらしい。 軍の部隊も同じように建物の屋上に残された瓦礫を一人一つ崩壊した炉内に投げ込んでは室内に戻っていた。
消防、軍、警察、多くの人たちが核の火に非常に不十分な装備のまま立ち向かった。
番組の中で当時の消防隊、軍の生存者がその行為を今も誇りに思うと語っていた。後方で指揮をした御偉方ではなく、現場の部隊の人が健康の被害を受けながらそう語る事っていた。 当時の軍の部隊の指揮官もインタビューに応じていたが、てっきり安全なモスクワにいたのかと思いきや現場で指揮を執っていたようだ。
彼らの英雄的行為は記録され、称えられるべきだ。
そして今、福島の現場でも原発の専門家達が核の火と戦っている。 チェルノブイリに比べれば放射線量はまだ低く、防護装備も良いかもしれない。 しかし、決死的任務には変わりない。
危険な戦いに志願して行く戦士達もいる
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110316-00000018-jij-soci
手元にアランホワイト著の「敵対水域」という本がある。 冷戦末期にキューバ沖で弾道ミサイルの爆発、原子炉のメルトダウン直前の事故に見舞われた、戦略原子力潜水艦「K219」のノンフィクションだ。
爆発で原子炉の遠隔制御能力が失われ、制御棒を自動で下せなくなったなか、メルトダウンをくい止めるため、原子炉士官ベリコフ中尉と機関水兵セルゲイ・プレミーニンはそんな利用を想定されていなかった防護服を身につけて原子炉の内部に入り、高熱の中、レンチを使い、手動で制御棒を下す。 本の中でそのような訓練は機関学校で1度だけ、そんなことが起こるはずが無いと教官に言われながら受けただけだったという。
ベリコフは生還するが、セルゲイはハッチの故障で原子炉区画を脱出できず、潜水艦の沈没と運命を共にする。
生存者、関係者の証言から再構成された現場の様子は全てが事実かはわからない。 しかし、本の中で次のようなニュアンスの言葉が述べられている「彼はそこにいて、彼だけがそれをできると知っていた。ただそれだけの理由で彼は戦いに挑んだ」。 ベリコフが倒れた後、単身原子炉へ2度目の作業に戻り、帰らなかった18歳の水兵に向けた作者の称賛だ。
ムルマンスクの軍港にはセルゲイを称える碑があるという。
現在、原発で核の火と戦う人々が無事でありますように。そして彼らの英雄的行為が記録され、記憶され、正当に評価されますように。
チェルノブイリのドキュメンタリー番組を見た時、現場に一番に駆け付けた消防隊が防護服もないまま、破壊された炉に走って行っては瓦礫を1つ手にとり破壊された建屋に投げ込み駆け戻る事を繰り返す映像があった。 その場に立ち止まれば致死量の放射線を浴びるため、一人一つの瓦礫を排除するという事を繰り返したらしい。 軍の部隊も同じように建物の屋上に残された瓦礫を一人一つ崩壊した炉内に投げ込んでは室内に戻っていた。
消防、軍、警察、多くの人たちが核の火に非常に不十分な装備のまま立ち向かった。
番組の中で当時の消防隊、軍の生存者がその行為を今も誇りに思うと語っていた。後方で指揮をした御偉方ではなく、現場の部隊の人が健康の被害を受けながらそう語る事っていた。 当時の軍の部隊の指揮官もインタビューに応じていたが、てっきり安全なモスクワにいたのかと思いきや現場で指揮を執っていたようだ。
彼らの英雄的行為は記録され、称えられるべきだ。
そして今、福島の現場でも原発の専門家達が核の火と戦っている。 チェルノブイリに比べれば放射線量はまだ低く、防護装備も良いかもしれない。 しかし、決死的任務には変わりない。
危険な戦いに志願して行く戦士達もいる
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110316-00000018-jij-soci
手元にアランホワイト著の「敵対水域」という本がある。 冷戦末期にキューバ沖で弾道ミサイルの爆発、原子炉のメルトダウン直前の事故に見舞われた、戦略原子力潜水艦「K219」のノンフィクションだ。
爆発で原子炉の遠隔制御能力が失われ、制御棒を自動で下せなくなったなか、メルトダウンをくい止めるため、原子炉士官ベリコフ中尉と機関水兵セルゲイ・プレミーニンはそんな利用を想定されていなかった防護服を身につけて原子炉の内部に入り、高熱の中、レンチを使い、手動で制御棒を下す。 本の中でそのような訓練は機関学校で1度だけ、そんなことが起こるはずが無いと教官に言われながら受けただけだったという。
ベリコフは生還するが、セルゲイはハッチの故障で原子炉区画を脱出できず、潜水艦の沈没と運命を共にする。
生存者、関係者の証言から再構成された現場の様子は全てが事実かはわからない。 しかし、本の中で次のようなニュアンスの言葉が述べられている「彼はそこにいて、彼だけがそれをできると知っていた。ただそれだけの理由で彼は戦いに挑んだ」。 ベリコフが倒れた後、単身原子炉へ2度目の作業に戻り、帰らなかった18歳の水兵に向けた作者の称賛だ。
ムルマンスクの軍港にはセルゲイを称える碑があるという。
現在、原発で核の火と戦う人々が無事でありますように。そして彼らの英雄的行為が記録され、記憶され、正当に評価されますように。
いろいろな覚悟をされて活動されている皆さんと、そのご家族の
心中を思うと、胸が苦しくなります。
どうかこれ以上の被害が広がりませんように、心から祈ります。
私たちは早く落ち着きを取り戻して、東北の皆さんを支えなくては。
by haru (2011-03-16 08:43)
原発の現場でも、被災地でも、
多くの方が命がけで、多くの人たちの命を救おうと
がんばっている。。。
離れたところにいる私たちも、そのことを
心に刻まなければならないですね。
by のらん (2011-03-17 07:27)
現場の方々の勇気に頼るしか無いです。
頑張って!
by TAKUMA (2011-03-18 05:57)